立ち読み:茂木友三郎対談

対談高村さん
高村 正彦(自由民主党副総裁 衆議院議員)

百の学説より一つの最高裁判決

中央大学法学部法律学科卒業後、二十三歳で司法試験に合格、十二年間の弁護士経験を持つ高村正彦さん。
一九八〇年、三十八歳の時に衆議院議員総選挙に初当選。
以降、十二回連続当選を果たされ、三十七年にわたる議員生活において、経済企画庁長官、外務大臣、法務大臣、防衛大臣など要職を歴任されてきた。
現在は、自由民主党副総裁を務められ、二〇一二年の第二次安倍政権発足時前から連続在任日数が歴代最長となった。

茂木
ようこそお越しくださいました。

高村
お招きいただきまして、ありがとうございます。

茂木
お生まれはどちらですか。

高村
私は、父(高村坂彦氏:一九〇二~八九)が愛媛県警察部長を務めていた時に松山市の官舎で生まれました。父は内務省(主に地方行財政や警察を所管していた中央官庁。一九四七年に廃止)の役人だったので、鳥取や香川、新潟、大阪など各地を転々としまして、私が小学校に入る頃に東京に出てきたのです。最初は杉並区和泉町に住居を構えたのですが、その後吉祥寺に移り、今もずっと私は吉祥寺に住んでいます。

いろいろなところを転々として、私は幼かったのですべてを覚えているわけではないのですが、二歳ぐらいの頃、荏原区(現・品川区荏原)に住んでいたことがあり、その時に家の二階の窓から落ちたのです。それが、ちょうど下に木があって助かったのですから、運がいいのですね(笑)。

茂木
それは運がよかったですね(笑)。

高村
それ以来私はずっと運がいいのです。もし木がなかったら、私は今ここにいなかったかもしれません(笑)。

茂木
では、愛媛生まれの東京育ちということですね。

高村
はい。吉祥寺で育って、武蔵野第一小学校、武蔵野第一中学校から立川高校へ行きました。

茂木
どんな少年だったのですか。

高村
私は一九四二年三月十五日の早生まれで午年になるのですが、同級生のほとんどは巳年生まれで、学年の中では極端に体が小さかったので、今でも巳年生まれの同級生に会うと、「おまえたちは俺が小さかったからいじめていただろう。だから、俺は今でもヘビが嫌いなんだよ」と冗談を言っています(笑)。

ただ、体が小さくて強くはなかったのですが、相撲が大好きな子どもでした。野球も好きだったのですが、小学校五年の時に左目をケガして失明に近い状態になったのです。それまでは野球で空振りすることはほとんどなかったのですが、目をケガしてからは、しょっちゅう空振りをしたりフライボールが飛んできても取れなくなり、野球を断念して、相撲に専念したわけです。相撲とはいっても土俵があるわけではないので、いわゆる取っ組み合いですね。中学二年、三年の頃は結構強かったですよ(笑)。

茂木
高校時代は何か運動をされていたのですか。

高村
高校の時は特に運動はしていませんでした。私は柔道部に入りたくて、小学校六年から中学、高校も一緒だった仲のいい友達に、「柔道部に入ろうと思う」と言うと、「おまえが柔道部なんか入ったって続くわけないじゃないか。武蔵野警察署の柔道教室に習いに行ったことがあるけど、受け身ばっかり一時間も二時間もやらされて、俺ですらもたなかったのに、おまえにやれるわけがない」と言われたのです。その友達は根気があって何でもまじめにやるタイプでしたが、私は三日坊主で何でもすぐにやめてしまうタイプだったので、こいつがもたないのなら、自分がもつわけないなと。それで、二人で卓球部に入ったのですが、何しろ左目がよく見えないので、ゆるいチャンスボールが来ても空振りしてしまうのです。これは駄目だと思って卓球部をやめて、その後はクラブには入らずに、近くの山へ登ったりして遊んでいました。山登りというほどのものではなくて、よく丘歩きをしていましたね。

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