立ち読み:牛尾治朗対談

対談
中村 桂子(JT生命誌研究館館長)

生きものを見つめ、生命を大切にする社会をつくる

東京大学理学部化学科在学中にDNAと出会い、その二重らせん構造の美しさに惹かれたことをきっかけに、大学院で生物化学を学ばれた中村桂子さん。
三菱化成生命科学研究所研究員、 大学教授等を経て、生物の発生、進化、生態系をつなぐ歴史物語ー「生命誌」という新しい学問分野を提案。
一九九三年、それを具体化する「JT生命誌研究館」を立ち上げ、二〇〇二年より同館館長を務められている。

牛尾
ようこそお越しくださいました。

中村
お招きいただきまして、ありがとうございます。

牛尾
中村さんとは大変古い付き合いになりますが、一番最初にご一緒したのは、科学万博(現・茨城県つくば市で一九八五年三月~九月に行われた「国際科学技術博覧会」)の基本構想委員会でしたね。博覧会開催の五年前、一九八〇年に「財団法人国際科学技術博覧会協会」が設立されて、会長が土光(どこう)敏夫さん(一八九六~一九八八)、十二名の副会長の中に井深大(まさる)さん(一九〇八~一九九七)がいらっしゃった。私がその基本構想委員会の委員長を仰せつかって、副委員長は下河辺(しもこうべ)淳(あつし)さん(一九二三~二〇一六)で、中村さんに委員会のメンバーになっていただいたのですね。

中村
そうでしたね。

牛尾
私が五十一歳、中村さんは四十五歳ぐらいで、お互い若かったですね(笑)。

中村
「人間・居住・環境と科学技術」が博覧会のテーマで、私は「人間」の担当だったのですが、なかなか答えが出せなかった…。その答えが、今の「JT生命誌研究館」なのです。「〝生命誌研究館〟をつくって人間のことを考えます」と書いた報告書を出しました。当時、下河辺さんは「NIRA」(公益財団法人総合研究開発機構:現在の代表理事会長は牛尾治朗さん)の理事長をなさっていて、しばらくしてから理事長室へ伺って、「報告書だけで終わらせるのではなくて、ちゃんとした建物をつくって活動をしたいのです」とお願いしたのです。そうしたら、ずらっと並んだ報告書を前に、「これだけ報告書が出たけど、実際につくってくれと言ったのはきみが初めてだ」と下河辺さんがおっしゃった(笑)。

牛尾
それで、日本専売公社から民営化したばかりのJT(日本たばこ産業)に話をしたのですね。

中村
その前に、長岡實(みのる)さんが大蔵事務次官、下河辺さんが国土事務次官として、ご一緒に国づくりをしていらした。長岡さんがJTの会長になっておられたこともあり、お願いして、つくっていただけたのです。

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